歴史の謎・長篠の戦い

1575年愛知県新城市長篠で行われた、武田勝頼織田信長徳川家康連合軍の前に長篠の戦いで大敗したのは謎である。馬防柵の後ろから打ち込む鉄砲の三段打ちに対して、何人かの武将が倒されても倒されても攻め込んだことは何故だろうか。2・3人やられたら場所をかえるなどをすればいいものを、いつまでも攻撃を続けたのは何故?

鉄砲3段打ちを考案した織田信長は、さらに謀略を張り巡らしていた。配下のある武将に隠密を勝頼あてに送らせ、「私は信長に恨みを持っています。この度の戦いで信長陣営の一角を崩してもらえれば、それを合図に背後から攻めかかりましょう」と通じさせた。さらに信長は別動隊を勝頼の背後におくり、退却をしにくくさせた。この理由により、勝頼は攻撃をつづけるしかなかったのである。

このように歴史はストーリーを語れば記憶しやすくなる。

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